世の中は知らぬ間に「第2の地球」に突入していた話
大学院での学びの共有。テクノロジーについて学んでいたのですが、世の中は知らぬ間に第2の地球に突入しているという話です。なるほどなぁと思ったところを紹介します。
テクノロジーがもたらす変化は加速度的に高まっている
自分が実際に生きた時代の話にもかかわらず、改めて振り返ってみると、この30年ほどでテクノロジーが大きく社会を変えてきたことを痛感しました。講義でお話にあがった以下の変遷は頭にとどめておき、それぞれによって、経済原理や時間の流れ方が異なるのだということを意識したいと感じました。
【第1フェーズ】1990年代前半まで:すべてのことがリアルなものでしかなかった。
…リアルワールド/第一の地球しかなかった。
【第2フェーズ】95年:ウィンドウズ95が「第2の地球」をつくる
…バーチャルワールド/第二の地球。
既存の世界とは違う世界観。第一の地球のフレームワークは通用しない。
※ある意味、すみわけができていたともいえる
【第3フェーズ】2010年ごろ:スマホの登場で、リアルとバーチャルの境目がなくなる
…2017年には77億人くらいがモバイルを利用
常にネットに接続できる世界に。今やバーチャルワールドの方が強い。
上記のように10年毎に変革が起こっている現在、次は動画で常時接続が当たり前の時代になる予定。私自身はウェブメディアの編集者(ライター)として働いているのですが、こうした情報消費活動に強くアンテナを張らなければ(このままだとやばい)との危機感を覚えました。
”第2の地球”以降は、これまでとはロジックを用いるべき
上述の内容とも重なりますが、第2の地球以降では、使うべきフレームワークや経済原理が変わってくる(画一的でない)というのも大きな学びでした。
特に私の会社では扱う情報が医療に関するものであり、現状、雑誌などで編集能力や医療知識を蓄えたベテランライターがウェブに挑戦する…みたいなケースが多いのですが、彼らがアレルギー反応を示していたり、ウェブ系の記者と比べてうまくワークできないポイントも、「第一の地球」の論理で仕事を進めている場面に特に多いように思います。
ぱっと思いついただけでも、以下のあたりは大きいのかなと思いました。
伝統的な紙メディア(第1の地球時代)と、ウェブメディア(第2の地球時代)の違い
【運用体制面】
紙:雑誌は記事を出したらもう修正できない(校正校閲に多大な労力)
ウェブ:後からでも修正・加筆したり続報を出しやすい
※それこそアジャイル式に、いったんわかるところまで書く、
後日談をまた改めて掲載する…のようなことがウェブでは可能
【記事の質の評価】
紙:社会にとって必要かどうか(編集者自身の判断)
ウェブ:読者が面白いと思うかどうか(読者の判断)
※ページビューなどによって記事の良しあしや費用対効果が図れてしまう時代。
読者が何を求めているか?というマーケティング的な視点を持った記者が重宝される時代に。
【記事の届け方】
紙:本屋で買う/定期購読するなど。有料で手に入れる手段が多い
ウェブ:検索・メルマガ・SNSなどチャネルは多角的。クリック一つでリーチでき、無料のものが多い
※上記によりウェブではビジネスモデルも多角化。もちろん有料媒体もあるが、ネットワーク外部性も発揮し、広告をいかに露出させるなどすることで、より多くの利益を稼げるポテンシャルを秘めている。
既存システムの成功者ほど、破壊的なイノベーションの価値に気づけないことが多い
特に、破壊的イノベーションというのは、初動では通常低性能低価格という特徴を持つので利益率も低く、優良企業にとってそれを取り込むメリットが見当たらない。だから無視したり、「あんなものは成功しない」と見下してしまうものだと思いますが、そんなニッチメーカーの良くのよくわからないサービスが一挙にスケールした瞬間が、既存の成功者にとっては最大の脅威。
既存の持続的イノベーションで成長を重ねてきた優良企業がイノベーションの脅威に気づいて投資を始めることろにはもうすでに手遅れ。自社も若干胡坐をかいている感じがあるのでぞっとしました。
1970年代にドラッガーが見積もった会社の寿命は30年。その一方、最近では23年とどんどん短くなっていっており、淘汰する側とされる側も紙一重なんだろうな、、と思います。消費者としては便利な世の中で助かりますが、、サービスの提供者としてはより本質を見極めつつ、市場の変化が起こる前提で体制を組んでおくというのは非常に重要なのかなと思いました(多少総体としてのコストが増えたとしても、コアでない部分は外注してしまうとか)。
自分の仕事の進め方が、「第2の地球」を意識したものになっているかどうか、たまーに立ち止まって考えてみたいなと思いました。